おかわり

毎日繰り返しができない人。たべたりのんだりねむったり。まるでだめなおたく

八方美人はバリアの呪文

その昔、私はたいそうなデブスであった。なんの取り柄もなく、かといってなにかを成すわけでもなく、ただただぶひぶひと鳴いていた。
状況改善など毛頭なく、他力本願で「今すぐ死んで人生やり直したいなぁ」と思いながらポテトチップスを片手にパソコンで創作サイトを貪り尽くす毎日を過ごす青春時代。正直完全に終わっている。
その頃流行っていたマンガの夢小説サイトを巡り、顔の良い女子マネがちやほやされているのを読んでは顔が良いとそれだけで優遇されていて最高だなと思ったりした。ただ、たいていの場合、顔が良いだけの女子マネは制裁されていた。何故かみんな性格が最悪だったのだ。男子に八方美人、女子に嫌悪する、だいたいオタサーの姫の女子嫌悪型のような性格をしていた。しかし、顔がいいから色々と許されていて菓子パン片手にとりあえず顔がよくなりてぇなぁと思ったり思わなかったりした。思っても、結局はランニングや筋トレなどをするよりおにぎり片手に持ってる方が幸せだったのである。

誰からも必要にされていない(と感じているかされたくない)人が救済される話が好きだ。そんな話ばかり読んでいたのは、様々な人が幸せに過ごすところが見たいというのも勿論であったが、自分を変えるために必要な手段を知りたかったからなんだろうと思う。
でも、その手段が必ずしも確実性のあるものではないから(お話というものは整えられている)努力なんてしても救われないし、報われない思いを抱えてしんどいだけだからと、他の世界を夢想し続けた。不器用に生きている子(キャラや創作キャラ)を救うにはどうすれば現実的なのかばかり考えていた。今でも考えている。本当にルークには幸せになってほしい。

人と関わるのが苦手で、極力人と関わらないようにエセ八方美人バリアを作っていた。人って、キャラと違って一方的に性格が把握出来ないんだもん。性格を完璧に知っているなら兎も角、知らない人を攻略(しかも選択肢なし!)とかコミュ障には無理無理絶対無理。
そうしてモブキャラを意識して当たり障りのない八方美人もどきを目指して日々生きていた。
喪女だ!どうせ同性にも異性にも意識されていない!を標語にコミュ障赤面症を直そうとしたりしたけれど如何せんコミュ障であったので無理であった。しかし、個性的な人が沢山いる大学であったため、救われた。なんか、この空間、無理にとけ込む必要がない。すごいーー。
しかし、だからこそ、私は、自分とは一体なんなのか、何が自分足らしめているのか、どの感情が本当に自分を示しているのか、よくわかんなくなっちゃうのであった。人には人の乳酸菌。自分とは周囲との擦り合わせの賜物なのかなんなのか。よくわからないけれど、この飯と睡眠に対した時の幸福感、それは紛れもない自分の性質であったーー。
そしてお小遣いが飯と酒に消える日々がはじまるのであった。めでたしめでたし。

ねこと暮らしていると無理な話をせずとも承認欲求も満たされて最高なのでおすすめてます。腹の上で寝てくれる幸せ。自分の眠る幸せ。